大判例

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大阪地方裁判所 昭和42年(ワ)2332号 判決

原告

西村裕之

右訴訟代理人

藤田良昭

外三名

被告

社会福祉法人大阪暁明館

右代表者

河辺満甕

外一名

右両名訴訟代理人

林藤之輔

外四名

主文

一  被告らは原告に対し、各自金六四〇万円及びこれに対する昭和四二年五月二一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  この判決は原告において被告らに対し各金二〇〇万円の担保をたてたときは、その被告に対し仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(原告)

一、主たる請求の趣旨

主文同旨

二、予備的請求の趣旨

1 被告会社福祉法人大阪暁明館(以下被告病院という)は原告に対し六四〇万円及びこれに対する昭和四二年五月二一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は同被告の負担とする。

3 仮執行の宣言。

(被告ら)

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

(請求原因)

一、主たる請求の原因

(一) 当事者

1 被告病院は、内科、外科、小児科、眼科、その他を有する総合病院であり、被告中野宗一(以下被告中野という)は昭和三九年当時、同病院小児科に勤務し、同科医長、未熟児室責任者であつた。

2 原告は、同年六月一九日尼崎市森字笠ノ池二七八番地の三訴外伊藤産婦人科医院で出生、生下時体重一、五一〇グラムのいわゆる未熟児であつたため、同日午後一時三〇分頃被告病院に入院し、同医院未熟児室の哺育器(クベース)に収容され、被告中野の担当、管理のもとに看護、保育されることになつた。

(二) 医療事故の発生

1 (原告の生育状況)

原告は、被告病院入院後、全身状態は比較的良好であり、心音、肺、腹共に正常で生後五日目に一度呻き症状が認められたが即日消え、体重も生後数日間の生理的減少期を経てほぼ正常に増加し、体温も特別に危険視する状態ではなく、クベース内で順調に生育していた。

2 (細菌感染及び病状の進行経過)

(1) 原告は、同日二五日から同月末日頃左眼角膜に外傷性の上皮剥脱、欠損ないしは浮腫を生じ、同じ頃この部分に細菌感染した。

感染菌の種類は後述のとおり被告らにおいてその早期検索を怠つたため不明であるが、医学常識からは肺炎球菌、ブドウ球菌等である蓋然性が高い。

(2) 右感染後数日間の潜伏期間を経て同年七月三日より原告の左眼には感染による局所刺激症状に起因した眼脂が認められ、右同日よりクロロマイセチン(クロマイ)点眼を開始したが同日以降とりわけ同月七、八日には体温が上昇し、眼脂は消失せず、その頃感染部に潰瘍を生じその周囲の浸潤、角膜の混濁が見られ、前房に畜膿し、結膜の刺激症状(充血)を来し、潰瘍は広がりと深さを増してその深部はついに角膜を穿孔するに至り、虹彩は脱出した。

(3) 同月二〇日、原告は被告病院眼科医訴外高田(旧姓梅崎)幸枝(以下高田医師という)の診察を受けたが左眼角膜は潰瘍穿孔のため中央部(瞳孔領)から既に虹彩が脱出し、失明寸前の状態であつて穿孔性角膜潰瘍と診断された。

(4) このため、原告は同月二八日大阪市立大学附属病院小児科室に転入院し、同病院眼科医訴外池田一三(以下池田医師という)の診察を受けたところ、上記脱出した虹彩の一部は角膜裏面に癒着し角膜全体が濃い白班となつて瘢痕化しており、いわゆる癒着性角膜白班で原告の左眼の視力は完全に失われ、治癒しても回復の見込はないと診断された。

以上の経過からみて、本件眼疾は細菌感染による匐行性角膜潰瘍である。

(三) 被告らの責任

原告が左眼失明したのは被告らの次のような医療上の過失による。

1 (被告中野の責任)

(1) 被告中野は被告病院において前記(一)の地位にあり、且つ原告の担当医であつたから原告に対し、細菌感染防止のため細心の注意を払つて原告に接触し、十分な管理のもとに原告の全身看護及び哺育を行い、異常を早期発見して専門医の診察を仰ぐなど適切な治療方法を講ずべき注意義務があり、ことに特定の疾病につき重大な結果を生ずる可能性があるときはその防止のため万全を期すべき業務上の注意義務が課せられている。

(2) 被告病院では未熟児室に収容された末熟児は親族でも特定の面会日に廊下から窓ガラス越しに面会を許すだけであり、同室には担当の医師又は看護婦以外の者の入室は一切禁止されており、親族はじめ被告ら病院関係者以外の者が原告に接触する機会はなく、右の者らにより未熟児室内は勿論それ以外の場所で細菌感染することはありえない。

ところで被告病院ではクベース内の原告に対し、哺乳(当時は鼻からチューブを胃中に差込む強制的な鼻腔栄養方式)、おむつ交換、チギラノーゼンC又はリンゲル注射、視診、聴診のための脱衣等の必要から日に何度かクベース内に医師又は担当看護婦が両手を差込み、未熟児に直接接触し、この他原告の場合生後七日目(同年六月二五日)にクベース内から取出して沐浴(入浴)が行われており、右いずれかの機会及び時期に被告中野又は担当看護婦が原告の左眼角膜に接触するなどしたため角膜に傷がつき、この部分から細菌が侵入したものとしか考えられない。

したがつて、右感染は被告中野が前述した細菌感染を未然に防止すべき細心の注意義務を怠り、且つこの点について看護婦に対する十分な指示、監督を怠つた過失により発生した。

ことに、生後七日目程度の未熟児にとつて、細菌感染及び体温喪失防止のため沐浴は禁忌のこととされ、沐浴には当然湯水やタオルを使用するためこの際の感染の危険は大であるところ、本件原告の前述した病変経過等より感染の機会としては右沐浴が最も蓋然性が高く、前同日これを行つた被告中野の過失は重大である。

(3) そして本件原告の眼炎は角膜穿孔にに至つた重篤なもので早期に適切な治療をせねば重大な結果を生ずる疾患であつたから、同年七月三日最初に眼脂が認められた後、同七、八日頃には眼瞼の腫脹、発赤等の感染刺激症状を伴つていたはずで、当時原告に接していた者はこれらを肉眼でも十分発見可能であり、仮にそうでないとしても七月三日に開始されたクロマイ点眼時の開眼の際看護婦は結膜充血や角膜白濁は容易に発見できたはずである。のみならずクロマイ点眼を継続しても眼脂が消失せず、これが片眼のみに限つて認められるうえ、同月七、八日には体温の上昇が見られるなど異常な症状を発現していたのであるから、被告中野はこれらの症状を総合判断しなんらかの眼疾を疑うべきであり、医師としての細心の注意をもつてすれば少なくとも同月三日ないしはその後数日以内にこれを発見可能であつた。

そして、右症状を発見後直ちに、原告を眼科専門医に診察させるなどしてその指示を仰ぎ、まず抗菌作用の広範囲な抗生物質を局所及び全身に注射又は内服薬により投与すべきである。その際の抗生物質としてはストレプトマイシン、アイロタイシン、アクロマイシン、エリスロマイシンの一種又は数種を複合したものが適当である。(なお、現在ではクロマイ耐性を有する細菌が増加し、且つクロマイは点眼のみでは効果がないためクロマイ点眼は適切でない。よつて右に述べたとおり被告中野がこれを継続したことは適切な治療方法とはいえない)同時に塗抹標本又は培養法による細菌検索をし、特定の感染菌を検出できた場合にはこれに対し特効のある抗生物質を大量に投与しつつ、更に右検出菌の感受性試験により最も抗菌作用の強い抗生物質を決定して投与すべきである。以上の治療と併せて角膜炎症の修複作用のある薬剤投与をするなど視力喪失という最悪の結果を避けるべく医師としての最善の方策を講ずべきである。

ところが、被告中野は前記七月三日にクロマイ点眼の開始を看護婦に指示しただけでその後十分な診察をせず、眼脂が消失せず又異常な体温上昇にも留意することなく漫然とクロマイ点眼を継続しただけで放置したため、前述した感染刺激症状を全て看過し、したがつて前記早記治療行為を全く行わず本件眼疾の急速な進行を阻止しえず、同月二〇日に至つてはじめて前述のとおり訴外高田医師に初診を依頼したものの既に原告の左眼角膜は潰瘍のため穿孔し、虹彩が脱出しており、失明寸前の状態にあり、同月二八日には完全に左眼失明した。

したがつて、被告中野には前述の細菌感染させた過失のほか、医師としての注意義務に違反し本件眼疾を早期発見せず原告をして早期に専門医による効果的な治療を受ける好機を失わせた過失がある。

なお、現代医学上薬剤耐性を有する緑膿菌が感染菌である場合には失明の結果は免れないとされており、本件における感染菌が右緑膿菌であつたか否か不明である。しかし右菌による感染は極めて稀であるうえこれが確定できないのは前述のとおり被告らの過失によるから本件における早期治療の懈怠責任と原告の左眼失明との間の因果関係は肯定されるべきである。

以上、被告中野は民法七〇九条に基づき原告が、本件医療事故により被つた後記損害を賠償すべき義務がある。

2 (被告病院の責任)

被告病院は、被告中野の使用者であり、本件医療事故は同病院の業務執行中に右中野の過失により発生した。

よつて、被告病院は被告中野の使用者として民法七一五条に基づき原告の右損害を賠償すべき業務がある。

(四) 損害

1 (逸失利益)

原告が本件において左眼失明したことは前述のとおりであるから、原告は労働能力の四五%を喪失した。

そして原告は右失明当時〇才児であつたが、満一八才で就労し、満六三才まで(四五年間)就労可能であり、昭和四六年度賃金センサス第一巻第一表によれば全産業男子労働者の年間平均給与額は一一七万二二〇〇円(内訳、平均月間給与額七万六九〇〇円、賞与等年間特別給与額二四万九四〇〇円)であるから原告は右就労可能期間中同額の収益をあげえたはずである。そこで右四五%の労働能力喪失率を考慮のうえ、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して右期間の純利益の現価を計算すると原告の得べかりし利益は八一六万七一二七円となる。

(算式117万2200×0.45×15.483)

2 (慰藉料)

原告は本件において生後一ケ月余にして左眼失明し、以後終生日常生活は勿論、社会生活にも大巾な制約を受けることとなつたほか、前記後遺症のため外貌は醜悪となりその精神的苦痛は多大である。

よつてその慰藉料として二〇〇万円が相当である。

(五) 結論

よつて、原告は被告らに対し、各自前項1の損害金内金四四〇万円と同2の損害金との合計六四〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和四二年五月二一日より完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、予備的請求の原因

(一) 原告の法定代理人親権者西村俊一、同西村美代子は昭和三九年六月一九日被告病院との間に未熟児たる原告の加療、哺育、看護一切を同被告に委ねる準委任契約を締結した。

(二) 被告病院は右契約に基づき原告に対し、現代医学水準のうえで最も適切な看護・哺育等の診療行為をすべき義務を負つた。

(三) 本件において被告病院の勤務医で同病院の履行補助者被告中野の診療行為により原告が左眼失明し前記損害を受けたことは前述のとおりであるから、被告病院は右債務不履行責任を負い原告の右損害を賠償すべき義務がある。

(四) よつて、原告は被告病院に対し、前記六四〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和四二年五月二一日より完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する答弁及び主張)

一、主たる請求原因に対する答弁

1 請求原因(一)、1のうち被告中野が昭和三九年当時被告病院小児科に勤務していたこと及び同2は認める。

2 同(二)、1のうち原告には被告病院入院後陣き症状が認められたこと、原告の体重がほぼ正常に増加し、クベース内で順調に生育していたことは認め、その余は否認。

同(二)、2、(1)は否認、同(二)、2、(2)のうち昭和三九年七月三日より原告の眼(但し両眼)に眼脂が認められ、同日よりクロマイ点眼を開始したことは認め、その余は否認。同(二)、2、(3)、(4)のうち、同月二〇日高田医師の診察を受け、穿孔性角膜潰瘍と診断されたこと及び同月二八日原告主張の病院に転入院し、池田医師に癒着性角膜白班と診断され、原告の左眼が失明したことは認める。

3 同(三)、1のうち、被告中野が被告病院小児科に勤務し、原告の担当医であつたこと、同病院では未熟児室に担当の医師又は看護婦以外の者の入室を許さないこと、原告への哺乳は当時原告主張の方式によつていたこと、生後七日目程度の未熟児にとつて沐浴は禁止されていたこと、昭和三九年七月三日眼脂が認められたため、被告中野がクロマイ点眼液の使用を開始したこと、同月二〇日訴外高田医師による初診時に原告の左眼が穿孔し虹彩が脱出している状態となつており、同月二八日には失明していたことは認め、その余は否認。とくに被告中野に過失ありとの主張は全面的に争う。

同(三)、2のうち被告中野の使用者であることは認め、その余は争う。

4 同(四)のうち原告の左眼が生後一ケ月余にして失明したことは認めるが、その余は争う。

二、予備的請求原因に対する答弁

被告病院が原告の親権者と原告主張の契約を締結したこと、被告中野が右病院の勤務医であることは認め、その余は争う。

三、主張

(一) (入院経過)

1 原告は出産予定日より七二日も早く出生した未熟児であり、被告病院入院時、呻きの症状(重篤な症状で、原因としては頭蓋内出血及び呼吸障害症候群が最も多いと云われているが、真因は不明である)があり、低体温(正常な場合には生後二四時間で三六度前後に上昇する)が約二週間も続いており、哺乳力も全く無いという。未熟児としては極めて危険な状態であつた。このためクベース内で厳重な温度管理を受け、又、哺乳力が全くないので鼻腔から胃の噴門部まで管を挿入してミルクを注入するという強制栄養の方法がとられていた。当時厚生省の統計による一五〇〇グラム前後の未熟児の死亡率は六〇%程度であつたし、原告の如く(呻き)症状を伴う場合には、死亡率は八五%乃至九〇%に達するとされているのであるが、被告病院に於ける治癒方法が適切であつたから、原告の容態は順調な経過を辿り、七月二〇日には体重が一七七〇グラムに増加し、全身状態も極めて良好なものとなつた。そして、同月二二日には哺育器より出して未熟児室内のコット(嬰児用ベッド)に収容し、同月二五日からは軽口栄養が可能な状態となつた。同月二六日には体重が二〇〇〇グラムまで増加している。

2 この間、同月三日より原告の両眼に軽度の眼脂が認められたので直ちにクロマイ点眼を開始したが、元来、新生児には軽度の眼脂を見ることは稀ではなく原告の眼脂は極めて軽度のもので、医師の回診時には一度も発見されておらず、常時その状態に細心の注意を払つている看護婦が特に認める程度のものであつた。したがつて、眼瞼に発赤腫脹等の炎症症状は全く認められず、勿論、排膿、発熱等の症状は全くなかつた。そこでクロマイ点眼を継続しながら両眼の状態に注意していたが、その後も右眼脂の外には何の異常も認められなかつた。

3 同月二〇日一応生命の危険は去つたと認められたため、被告病院眼科の高田医師の診察を受けたところ、左眼が穿孔性角膜潰瘍と診断された。そして同日以降同医師の指示のもとに抗生物質を用いて治療を行つたが治癒するに至らなかつたのである。

(二) (左眼失明の原因について)

1 一般に未熟児は低体温で体温の上昇が正常でなく、妊娠末期に母体から受けつぐべき抵抗力を持たないため感染に対する抵抗力が弱く、又哺乳力が無いので、未熟児室では保温、細菌感染防止、栄養保全に十分の配慮がなされ、特に感染防止に関しては、換気装置・室内の殺菌灯使用・勤務者の限定(医師常勤二名・臨時一名・看護婦五名・助手一名及び洗濯係一名で、いずれも専従である)。勤務者の着衣の制限(白衣・帽子・マスクの着用)。手洗い。未熟児用肌着類の熱蒸気消毒等あらゆる方面に亘つて万全の注意を払つている。

2 したがつて、未熟児室における生後感染は全く考えられず、原告の左眼失明は原告が未熟児として出生したことが原因である。

すなわち、角膜の形成を胎性学的に見ると、角膜上皮は通常受胎後六ケ月以降に形成されるのであるが、原告は約七カ月の重症未熟児であつたため、未だ角膜前層の完全な形成を見ないまま分娩された。従つて、原告の場合、出産前に於ては羊水等による保護があつたのが出産後はこれを失つたため、空気その他の外界の刺戟に耐えきれず、未完成の角膜が破壊せられ乃至は障害を受けたため、角膜潰瘍を来たしたものと考えられ、本件眼疾は原告が未熟児として出生したこと、いわば未熟児性そのものが原因であるとみるべきである。

仮に原告主張のように細菌感染によるものとすると、その急激な進行状況及び原告の順調な生育状況よりみて局所に強度の感染性の炎症反応(多量の眼脂、眼瞼周囲の発赤腫脹、流涙等)が見られるはずである。ところが、前述したとおり右症状は全く認められておらず、この点からも原告の主張は失当である。

仮に細菌感染によるとすると、胎内感染の可能性もある。

3 なお、原告は生後七日目に沐浴が行われたと主張しているが、原告ら未熟児に対して右時期にこれを行うことは、未熟児哺育上おおよそあり得ない。一般にこの時期の未熟児に対しては、いわゆる乾燥法が行われ、出生時に未熟児の体に付着している血液、胎便を拭い去つて胎脂はそのまゝ残し、沐浴は行わずに放置する方法がとられている。特に前述のとおり、原告はこの時期呻き症状と低体温が持続し、哺乳力も全くないという生命の危険を示していたから、その危険をおかしてまで沐浴をするはずがない。

(三) (早期発見等について)

1 未熟児感染の臨床がしばしば非特異的、非定型的であり、早期診断が困難であることは一般に指摘されているところであつて、感染があるにもかかわらず感染の一般的症状が現われないこともしばしばあり、又未熟児の体温が極めて不安定であることもよく知られているところである。そして、原告主張の感染時期における原告の哺乳状況と体温の順調な増加傾向は原告の全身状態が良好であることのなによりの証拠であつて、前述のとおり原告には感染の徴候はなに一つ認められなかつたのであるから、被告中野は本件眼疾を疑う契機を持たなかつた。従つて眼疾専門医の診察、治療を受ける必要を認めなかつたのである。

2 仮になんらかの症状が発見可能であつたとしても、眼科において診察を受けるには原告を携帯用クベースに入れて滅菌状態の未熟児室から連れ出さなければならず、又眼科では当然クベースから出して診察するため感染の危険が極めて大きいうえ、右に述べたように当時原告は生命の安否すら気遣われる状態にあつたから医師としてはとうていなし得ないところであつた。

以上のとおり、被告中野には本件において、なんら治療上の過失は認められないから、同被告には原告の主張する不法行為責任はない。よつて、被告病院も又不法行為責任ないしは債務不履行責任を負ういわれがなく、原告の請求は全て失当である。

第三  証拠〈略〉

理由

一請求原因一、2の事実及び被告中野が昭和三九年当時被告病院小児科に勤務していたことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば被告病院は内科、外科、小児科、眼科等を有する総合病院であり、被告中野は当時同病院小児科医長、未熟児室責任者であつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二医療事故の発生

(一)  原告は被告病院入院後、呻き症状が認められたものの体重もほぼ正常に増加し、クベース内で順調に生育していたこと、昭和三九年七月三日原告に眼脂(目やに)が認められたため同日よりクロマイ点眼を開始したこと、同月二〇日被告病院眼科の訴外高田医師の診察を受けたところ穿孔性角膜潰瘍と診断され、更に同二八日原告は大阪市立大学附属小児科未熟児室に転入院し、同病院眼科の訴外池田医師の診察を受け癒着性角膜白班と診断されたこと、原告の左眼が失明したことは当事者間に争いがない。

(二)  〈証拠〉によれば、原告は出産予定日(同年八月二八日)より七二日早く出生した未熟児であり、被告病院入院時低体温(三三度九分)で、体重は生理的減少のため一四四〇グラムで、心音は「そんなに遅くなく」、全身状態も「そんなに悪くない」状態であつた。同年六月二四日一般に未熟児にとり重篤な症状と言われている呻き症状が一度認められたがその後は収まり、七月一一日には全身状態は良好となり、同月一三日頃体重は生下時体重とほぼ同一になつたこと、そして未熟児は生理的体重減少の後生下時体重に復した頃一応生命の危険から脱したものと看做されることから右同日頃に危険状態から脱したと考えられ、同月二二日体重が約一八〇〇グラムを越えたためクベースから出て未熟児室内のコット(新生児用ベッド)に移され(未熟児哺育上、体重一八〇〇グラム以下の未熟児をクベースに収容する)、同年二五日からは経口栄養(自力哺乳)に切替えられ、前示のとおり順調な発育をしていたこと。

ところが、その間同月三日原告の左眼には眼脂が認められ、担当看護婦の報告により被告中野の指示で前示のとおりクロマイ点眼を開始、これを継続していたが容易に消失しなかつたため被告病院眼科へ原告を連れて行き前示のとおり高田医師の診察を受けたところ、眼瞼の腫脹、発赤、充血、分秘物などの炎症症状はなく、左眼角膜は潰瘍のためほとんど形がなく、中央部(瞳孔領)から既に虹彩が脱出した状態にあつた。そこで同医師は滅菌水で目を洗い、テラマイ軟膏を局所に投与し眼帯をし被告中野には抗生物質の投与を指示した。被告中野は右指示により従来のクロマイ点眼のほかマイシリン、アイロゾロンシロップ一〇〇ミリグラムを投与し、同月二四日からはマイシリンとアクロマイシン油性点眼に切替えて治療していたが、家族の要望もあつて原告を前記附属病院に転入院させたが、この時点では既に脱出した虹彩の一部は角膜裏面に癒着して陶器様に白く混濁(白班化)しており、眼疾としては治癒している状態で治療しても仕方がない段階であつた。そして、右白班は角膜の相当範囲にわたり且つ濃厚なものであつたことが認められ、〈証拠判断、省略〉。

(三)  〈証拠〉によれば、原告の視力回復手段としては各種点眼薬、軟膏等の投与又は角膜の白班化部分以外の部分に光を入れるため人工的に瞳孔を作る光学的虹彩切除術及び角膜移植手術等があるか、いずれも前示原告の症状では不適当ないしは効果のうえで限度があり視力回復は不可能であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

三原告は原告の左眼失明は生後の細菌感染によると主張するのでまず検討する。

(一)  〈証拠〉によれば次の事実が認められる。

1  癒着性角膜白班の発生原因

癒着性角膜白班は角膜炎のため生理的には透明な角膜が混濁し、角膜組織の欠損又は同組織内細胞の浸潤により潰瘍を生じ、更に深く進行して角膜穿孔をきたした後、前房水が流出し、前房がなくなることによつて虹彩が脱出ないし穿孔部にはさみ込まれて、それが角膜の裏面に接着し、そのまゝ固定して角膜穿孔部をふさぐ状態で白班化し、搬痕化するもので、前期症状として角膜穿孔を当然伴つていること。

ところで角膜穿孔の原因としては栄養障害、外傷、感染の三つが考えられ、穿孔の状態は類似していて見分けがつかないこと、まず栄養障害はビタミンA欠乏による角膜軟化症であるが、現在のように妊娠中の母体の産婦人科医による管理が行き届き、新生児の栄養が著しく向上し、特に未熟児に対しては前示強制栄養方式をとるなど小児科医の監督下にある状況の下では絶無とさえ言われ、右原因による場合は両眼が侵されるはずであり、栄養状態の回復により所見がなくなることもあり穿孔まで至る場合は稀であること。

次に外傷は外界からの物理的な刺激によつて角膜に裂傷、切傷等を生じ角膜穿孔をきたす場合あるいは酸、アルカリ等の化学薬品による腐蝕でもつて角膜に障害を起す場合であるが、一般にクベース内の未熟児にとつてはこの原因は考えられないこと。

更に角膜への感染には細菌感染のほかビールス、真菌等による感染もありうるが極めて稀有なことであり、多くは細菌感染であつて次のように分けられる。(1)胎内での血行性の細菌感染。つまり母体が梅毒に侵されていて胎児に血液を通して感染するものである。しかしこの場合は片眼のみ侵されることは考えられず。本件のように新生児期に発現することはほとんどありえず、角膜潰瘍を生じ、角膜穿孔にまで進行することは少ないこと、(2)出産時産道中での細菌感染。これは産道において母体の淋菌等に感染するもので、眼瞼の発赤など強い結膜の炎症を起し、眼脂が多く、クリーム状の濃汁が流出して、ついには角膜に合併症を起し角膜潰瘍、角膜穿孔をきたすが、現在では産後直ちに硝酸銀液もしくは抗生物質点眼液での予防措置がとられるため臨床例としては一〇年来皆無に近いものである。(3)生後感染(出産時も含まれる)。角膜に僅かな外傷、上皮欠損、浮腫等があり、そこに第二次的に細菌感染をして急速に進行するもので、特に認識しうる程度の外傷でなくとも角膜に不健康で細菌に対する抵抗力が弱つている部分があればそこに感染しうること。感染によりまず炎症が起り角膜内に侵潤が始まり、その部分は灰白色に混濁し、表面はざらつき、進行して角膜中央部に潰瘍を形成し、これが平面的に周囲に広がり、前房畜膿が認められる場合もあり、更に表層部の潰瘍が深部にまで及ぶと角膜穿孔をきたし、虹彩の脱出を見ること、したがつて、治癒後の白班は角膜の中央部に位置し、濃厚で且つ広範囲なことが多く、一般に匐行性角膜潰瘍と称されていること。

そして、未熟児の場合には一般に細菌感染等を起し易いことは認められるが、未熟児であること自体は癒着性角膜白班の原因にはならないこと。

2  感染菌の種類及び感染経路

右1(3)で述べた細菌感染の場合の細菌としては肺炎菌、ブドウ球菌、緑膿菌等が主なものとしてあげられ、うち最も多いのは肺炎菌であるが、各種抗生物質の普及により最近は薬剤耐性の強い緑膿菌も多く、感染経路は空気感染もありうるが多くは接触感染であること。

3  時間的な病変経過

癒着性角膜白班の時間的な病変経過は個体差などがあり一律に定められないが、感染による場合は外傷の場合に比し一般的にその進行が遅いと考えられ、感染後炎症症状が出るまで二、三日から数日間を経、感染後穿孔するまでは早くて数日から一週間、遅くて約二、三週間を要し、穿孔に至つた場合にはほとんど同時に虹彩が脱出して治癒(白班形成期)の段階に入るが完全に白班化するまで穿孔から約一、二週間を要する。しかし、右白班化は一種の後遺症状であるからその固定時期の把え方いかんにより一週間から一〇日位の差がありうること。

4  症状

一般に生体反応は多種多様であるため特定の症状を確定することは難しく、ほとんどなんらの症状も認められない場合もありうるが、細菌感染による場合は眼脂、眼瞼の腫脹・発赤、角膜混濁、角膜の毛様充血、畜膿、流涙、疼痛等の炎症症状をほとんどの場合に伴い、特に角膜の混濁がなく透明のまゝ潰瘍が進行することはなく、右混濁は肉眼で十分認められること。

5  治療方法等

癒着性角膜白班に至つた場合に治療の余地がないことは前示のとおりであるが、これに至る前であれば感染による場合であつても原因療法が可能であり、角膜穿孔の前に早期治療し、角膜潰瘍の段階で治癒した場合は白濁は残るが失明までには至らず又穿孔に至つてもそれが角膜の端の方で起つたのであれば視力回復の可能性はありうること。そして前述の一番重篤な匐行性角膜潰瘍であつても必ず失明するものではなく、早期治療で治癒すること。

ところで、感染の場合の治療方法としては右のとおり原因療法であるから、まず炎症症状を発見した場合には速やかに局所の一部(眼脂など)を取つて塗抹標本又は培養検査を行い、特定の感染菌を発見することに努め、発見できた場合には更に感受性試験をしてこれに最も効果のある抗生物質を決定すべきであるが、右検査結果がでるまで数日間要するから、疾病の進行を阻止するためにとりあえず抗菌作用の広い抗生物質、例えばストレプトマイシンなどを投与し、角膜に対しては潰瘍進行部にヨーチン等の薬液塗布をし、更に細菌が薬剤耐性を有し抗生物質で滅菌できない場合には電気焼灼をしたり、畜膿が認められれば前房穿刺を行うべきであること。

なお感染菌が緑膿菌である場合にはその治療はかなり難しいが、非常に早期に発見して適切な治療をするならば治癒の可能性があり、化学的療法としてサルフアダイアジン一日四グラムの内服などで効果があり、又0.5パーセントテラマイシン軟膏を一日数回点眼して治癒した臨床報告もある。

以上の事実が認められ、前掲証人高田の証言中緑膿菌に効果のある抗生物質はなくこれに感染して失明した場合は不可抗力であるとの部分は〈証拠〉に照らしてにわかに措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  そこで以上認定事実を前提にして本件原告の眼疾についてみると、

1  原告の本件における左眼角膜白班が相当強度のもので急速な進行経過を経て白班化したことは前示のとおりであり、証人池田一三は昭和三九年七月二八日原告を診察した際には原告の眼疾につき前示栄養障害の所見は見受けられなかつたと述べ、鑑定人坂上英の鑑定結果によれば原告には前示外傷の結果と思われる瘢痕は認められなかつたというのであり、右鑑定人も結論において前記角膜白班の原因として角膜瘢痕の状態よりして匐行性角膜潰瘍罹患の可能性が極めて強いとしているのみならず、前掲湖崎鑑定人もまた前示角膜穿孔の原因としては匐行性角膜潰瘍が最も大きな可能性をもつている旨の鑑定をしていること及び前項認定事実を総合すると原告の本件失明眼疾患である前示癒着性白班の原因は匐行性角膜潰瘍であつて、原告は生後において細菌感染を起して角膜潰瘍を生じ、その後角膜穿孔をきたし、これが治癒して癒着性角膜白班を残しているものであり、同年七月三日以降見られた眼脂もそのための炎症症状の一つであつたと推認するのが相当である。

2  ところで、右感染をきたすもとになつた角膜の欠損、浮腫等がいずれの原因によるものか、又感染菌が何であつたかについては本件全資料をもつてしてもこれを明らかにできないが、被告病院では未熟児室内への出入りを担当医師及び看護婦以外禁止していることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、同病院では未熟児室内の未熟児に対しては週二回(火、金)の面会日に廊下のガラス戸越しに親族等との面会を許すのみであつて、直接に接触する機会はなく、原告に対する診察は入院時から同年六月二五日までは訴外春本喬、同山本敏子が担当し、同月二六日からは右両名のほか被告中野も加わつたこと、そして医師の回診は毎日午前中一回行われ、クベースの両面に二個づつ開けられた穴(片面の二個の穴はおむつ交換専用)から両手を差入れて聴診器で全身を診察し、同時に視診を行うこと、その他専属の看護婦五名が八時間交替でクベース内の原告に対し、哺乳、おむつ交換等を行つていたこと、クベースには空気穴があり、未熟児室内の空気は内部に入るが、いわゆる外気が入る余地は全くないことが認められ、右認定に反する証人春本喬の証言部分は被告中野本人尋問の結果に照らしにわかに措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。右事実によれば当時原告に直接接触した者は被告中野ら三名の医師と右五名の看護婦だけであつたものと認められ、右証言及び本人尋問の結果と〈証拠〉によれば被告病院では感染防止のため勤務者の手洗い、マスク、ガウン着用、未熟児室内での紫外線空気消毒燈の使用等を実施していたことが認められるが、前掲坂上英の鑑定によれば、本来無菌であるべき未熟児室においても実際上は細菌の存在を全く否定できないことが明らかである。

なおカルテである前掲乙一号証の一四には同年六月二五日(生後七日目)に原告に対して沐浴が行われた旨明記されており、被告中野はその本人尋問において看護婦によるゴム印の押し間違いであつて、実際は沐浴を実施してないと弁解し、証人春本喬もこれに沿う証言をするが、右本人尋問によればカルテは未熟児室に備え付けられ、診察及び看護行為等の後にその都度記載していたというのであり、当時クベースは四台で、しかも常時全部を使用していなかつたことが認められるから、看護婦が取紛れて間違つたとも解されず、被告中野ら担当医師は右カルテを当日又は後日当然見ているはずであり、明らかな誤りを訂正させなかつたこと自体極めて理解し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

以上の事実に前示認定事実を総合すると原告は被告病院の未熟児室内において、被告中野ないし訴外春本喬、同山本敏子の毎日一回行われる回診又は看護婦による哺乳、おむつ交換、沐浴等の看護行為の際の接触によりなんらかの細菌に感染したものと推認せざるを得ず、これを動かすに足る証拠はない。

3  そして前掲坂上鑑定によれば原告は生後一五日目(同年七月三日)より左眼に眼脂を認めたという事実からそれを遡ること数日の時点において感染が生じたことを推察できるというのであり、右に原告の前示病変経過及び前項(一)、3で述べたところとを総合すると原告は同年六月下旬頃細菌感染したものと推認され、これを動かすに足る証拠はない。

四被告らの責任

(一)  被告中野

1  一般に医師はその職業の性質上患者の生命身体に対する危険防止のため必要とされる高度の注意義務を要求され、新生児ことに未熟児を預つて哺育する医師としては、未熟児特有の生理に十分注意し、特に患者からの自覚的症状の訴を期待し得ないのであるから客観的所見に十分注意し、また感染に対する抵抗力がないのであるから感染防止に万全の措置をして全身管理を行うべきであり、一定の症状が未熟児の一般的症状と認められる場合でも未熟児感染の臨床がしばしば非特異的・非定型的であることを考慮しその経過を慎重に観察し、特定の疾病との結びつきの有無を早期に鑑別、判断して、早期に適切な治療をすべきで、特にその疾病が重大な結果を生ずる可能性がある場合には専門医の診察を依頼する等、その防止のため最善を期すべき注意義務を負つているというべきである。

2  〈証拠〉によれば被告病院の未熟児室は昭和三九年九月に開設されたもので設備も比較的備つており、又被告中野は当時までに未熟児約一五〇〇名を取扱つており、かなり豊富な経験を有していたことが認められ、また匐行性角膜潰瘍は必ず角膜穿孔をきたして失明に至るものではなく、むしろ早期に発見して抗生物質を投与する等適切な治療をすれば失明に至らずに治癒しうるものであること及び同年七月三日には細菌感染による炎症症状としての眼脂と推認される眼脂が原告の左眼に認められたことは前示のとおりである。

3  しかるに前掲春本証人の証言及び右本人尋問の結果によれば、被告中野は担当看護婦より原告に眼脂が出現した旨の報告を受けた際、右眼脂は未熟児の一般的症状である旨軽信し、クロマイ点眼を指示したのみで自ら右眼脂の量を確認したりその原因を追究したりすることなくその後の経過についてもこれを格別の注意をもつて監視せず、原告の目を特に開くなどして診察したことは一度もなく、前記未熟児室を担当する他の医師や看護婦らに対しても前記クロマイの点眼以外は何の指示もしていないことが認められ、又被告中野本人尋問の結果によれば被告中野は前記高田医師の初診の際にも自らは小児科で診察していて立合わず、右医師の診断により穿孔性角膜潰瘍と判明後も原告に対し開眼して診察したことは一度もないというのであるから、被告中野は原告の症状に深く注意を払つていなかつたものというほかない。

そして七月三日開始したクロマイ点眼の際に看護婦は必らず原告の眼瞼を開いて点眼しているはずで、角膜混濁等の炎症症状は肉眼で十分認められることは前認定のとおりであるから看護婦においても容易に発見可能であつたといわざるを得ない。

ところが被告中野ら担当医師はもちろん看護婦らにおいても原告の眼瞼に生じていた細菌感染による症状を眼脂のほか全て看過し、右眼脂に対してクロマイ点眼をしただけで七月二〇日まで放置し、その後においても原告の瞼眼の検査もせず機械的に前示マイシリン等を投与していたにすぎず、前示原因治療方法を怠つていたことが認められる。

以上被告中野のとつた処置は患者から全身管理を委されている医師、ことに総合病院であり前示の如く比較的設備の備つた未熟児室をもつ被告病院の小児科医長で右未熟児室の責任者でありかつ未熟児の哺育、診療につき豊富な経験を有する専門医たる医師の処置としては最善の努力を尽したものとは認め難く、原告の左眼失明は被告中野において前示注意義務を尽さず病状の早期発見を怠り、その結果早期治療を怠つたために生じたものといわざるを得ない。

4  なお、被告中野は眼脂、それも軽度で医師の回診時には見られない程度のものであり、それ以外の炎症症状は全く認められなかつたと主張し、同被告本人尋問においてその旨供述し、又証人春本喬も同旨の証言をするが、たとえそうだとしても被告中野において前記注意義務を尽して原告の目を入念に診察する等の処置をとつておれば匐行性角膜潰瘍が炎症症状をおこし、特に角膜の混濁は必発の症状であることは前示のとおりであるから、前示治療の経過や前記三の(一)の認定事実に照らすと原告の罹患をより早期に発見し、失明に至らせずにこれを治癒させ得る可能性も存したものと推認するのが相当であり、また感染菌が緑膿菌であつた場合にはその治療がかなり難しいことは前示のとおりであるが、前掲湖崎証人の証言(二回)によれば、前示の如く管理された未熟児室の哺育器内での緑膿菌による感染の可能性は薄いというのであるから、たとえ、原告の眼瞼に著明な腫脹や発赤があらわれておらず、また、感染菌が何であつたかを厳密に確定し得ないことは前示のとおりであるとしても他に特段の事由の主張、立証されない本件の場合、これらの事実は被告中野の責任に関する右認定、判断を左右するに足りないというのが相当である。

5  よつて、被告中野は民法七〇九条により原告の被つた後記損害を賠償すべき責任がある。

(二)  被告病院

被告病院が被告中野の使用者であることは当事者間に争いがなく、同被告は右病院の義務執行中にその過失により本件医療事故を発生させたことは前認定から明らかである。

よつて、被告病院は民法七一五条により原告の被つた右損害を賠償すべき義務がある。

五損害

(一)  逸失利益

原告が本件医療事故により左眼失明し、視力回復の見込がないことは前認定のとおりであるから、原告はその労働能力の少くとも四五%を失つたものと認めるのが相当である。そして原告が右事故当時〇才(生後一ケ月余)であつたことは当事者間に争いなく、原告の将来の職業及び収入は全く白紙の状態であつて特定できないので、原告の自陳するとおり満一八才で就労し、満六三才に達するまで四五年間就労可能であつて、その間全産業全男子労働者の平均給与相当額の収入をあげうるものと推認するのが相当であり、これを動かすに足る証拠はない。

〈証拠〉によれば、昭和四六年現在における全産業全男子労働者の平均給与額は年間一一七万二二〇〇円(内訳、月間きまつて支給される給与額七万六九〇〇円、年間賞与その他の特別給与額二四万九四〇〇円)であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

よつて右労働能力の喪失を考慮のうえ、原告の逸失利益をホフマン式計算により年五分の割合による中間利息を控除してその現価を算出すると八一六万七一二七円となる(算式117万2200×0.45×15.483)。

(二)  慰藉料

原告は出生後一ケ月余にして左眼失明し、回復の見込がないことは右のとおりである。

〈証拠〉によれば原告は左眼角膜に広範囲に亘る白班を残しているため、外貌は醜悪となり幼児の頃から心ない友達の揶揄の言葉を受けていることが認められ、これが原告に与える心理的影響は図り知れず、又将来に亘つて日常生活はもちろん、学校生活、社会生活において種種の不利益を受け、特に将来の職業選択にも大巾な制限を受けるであろうことは推測に難くなく、原告が本件医療事故により多大の精神的苦痛を受けたことが推認される。

よつてその慰藉料として二〇〇万円が相当である。

六結語

以上により被告らは原告に対し前項の損害金及びこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四二年五月二一日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を各自支払うべき義務があり、原告の被告らに対し前示逸失利益中四四〇万円、慰藉料二〇〇万円、合計六四〇万円及びこれに対する右遅延損害金の各自支払を求める本訴請求は全て理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項を、仮執行宣言につき同一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(大久保敏雄 上野茂 田中由子)

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